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清王朝、宮廷の旧例によれば、皇帝が宮中(紫禁城)にいる時は、早朝午前四時、に起床しなければなりません。 これを請駕「セイガ」といい、 早朝四時になると、そのことにあたる宦官「カンガン」が寝室に行き、大声で 「もう請駕の時刻になりました」 と呼ばわり、そして側近の宦官が皇帝の沐浴「モクヨク」につきそいます。
その後、早朝の「凍糖炮燕窩一品」 (氷砂糖と燕の巣を強火で煮た料理) を召し上られ、早朝の謁見「エッケン」に臨みます。 皇帝が謁見に行かれるには、寝室より輿に乗り、太和殿「ダイワデン」に行かれますが、前に四名の護衛が、後に数人の宦官がつきそいます。退出される時も同様です。 午前八時に朝食をとります。
朝食が終わると、奏上された文書を見なければなりません。これは各省が上呈した公文で、指示を下し、軍機処(政府)に送ります。 そのあと満族・漢族の軍機大臣と接見し、軍機処から送られてくる毎日の「見起」について相談します。
「見起」と「早朝の謁見」とは異なり、「早朝の謁見」は一種の儀式ですが、「見起」は政治の中心問題を討論することです。
「見起」の時に、時間の制限はなく、数時間にわたって語り合うこともあるそうです。
昼食は午後二時〜四時の間に取られ、数量・種類は朝食の時と大差は有りません。 昼食後はだいたい一時間ほど昼寝をとりますが、これも清朝宮廷の習慣です。
皇帝の宮中での娯楽は、劇をご覧になるか、字や画を書かれるか、書物を読まれるか、に限られその他は許されません。
夕食は御酒を召し上がっても差し支えありません、但し皇帝が食事で最も拘束をうけるのは、皇太后と食膳を共にするのは構いませんが、皇后や妃嬪と一緒に食事をすることが出来ない事です、もとより皇帝自身が皇后あるいは妃嬪のいられる宮殿に出かけることは差し支えないのですが、これは非常に面倒です。それで清朝歴代の皇帝が、宮殿に行かれることは至って少ないそうです。 その場合は皇帝が当日の夕食時、皇后・妃嬪に食物を賜ることが暗示の一つです。
「早朝の謁見」は、皇帝の生活の中で、最も辛い事柄です。また大臣達も同様です。北京の気候は、春・夏・秋なら別に問題はありませんが、冬になると気温は零度以下になり、謁見のための太和殿はきわめて大きな建物なので、寒さはひとしおです。
まして暖房の設備はなく早朝の四時に行われるからです。 のちに袁世凱が皇帝になろうとした時、このことを知って、太和殿の王座の両脇に二つの大きなストーブをすえつけました。今もこのストーブは太和殿にのこっています。
それ故、清の歴代皇帝は出来るだけ宮中に居たくなかったようで、康煕帝はつねに熱河の離宮、乾隆帝は円明園、西太后は頤和園に居られたそうです。 皇帝が宮中におられず、園などに住まわれる場合はその生活は比較的自由になるそうですが、あまり長く宮中を離れていると必ず大臣が奏上文で諌めるそうです。