★★★ 北京中央民族学院( 現 中央民族大学 )   1984年9月  ★★★
第二の青春時代の思い出 「回想」
北京中央民族学院の正門 ★当時、民族学院は全国で4校あったが北京の中央民族学院が55の
  少数民族の幹部養成学校だった。
  左の写真は学院の正門で、ウイグル族の108号室の学生達と、、。
★寮の入り口の前で、、。彼らの名前は、ウルブカリム・ルフマンジャン・
  マイマイティ・ミン・あとは忘れてしまった それを漢字に直すわけ。 
   レーガン大統領は 里根 のように、、。
   
学生寮の前で
中央民族学院の学生寮108号室 ★当時の中国の大学は全寮制で一部屋に、写真のように、二段ベットが
  四つ有るが、一箇所は皆の荷物置き場になり、ほとんどが、
   七人部屋となっていた。108号室で、、。
   
★解放軍の友人からもらった綿大衣「わた入れコート」の裏に
  アラビア語で、ウイグル族と日本の友人「ホサカシンヤ」の
  友情を永遠に、、。と書いてもらい得意になり以後北京の町
  を闊歩していた、、、。  当時の留学生の学生証には色々
  優遇策が有り「ホテルの食事も一般外国人の料金でなく、中国人並、
  汽車の切符も優先的に等、」 でもこの背中のパスポートはもっと
  効果があり、北京にはウイグル族の領事館のような事務所があり、
  彼らと一緒だと、背中の文字をみせるとOK、、。
  
  あの時期は外国人は外貨兌換券を使う訳ですが、当然、人民元とは
  価値の格差が出るわけですが、物を買うのに外貨兌換券でも人民元
  でも1元は1元 それで、長期滞在のひとは外貨兌換券を人民元に交換
  して使おうとするわけです、最高2.3倍にもなりました。この元締めにも
  この背中のパスポートが良くききました。
   
  
中央民族学院の留学生寮 ★四号楼 留学生楼 今はビルに変わってしまった
★四号楼 留学生楼  あの当時は雪はあまり積もらなかった、 留学生寮の前で
学院の少数民族の学生たちと ★学院の少数民族の学生たちと、左は同室の諏訪先生
★建国35周年記念パレードの練習風景「学校のグランドで」
懐かしい魏公村のバス停 ★毎日332号のバスでご出勤 懐かしい魏公村のバス停