品名:愚公移山
品番:D-80
サイズ: 高25cm 横幅14cm 奥10cm
重さ1000g
価格:
¥4.800 「税込」 在1
中国・石湾窯「磁器」

愚公山を移す(ぐこうやまをうつす)は、中国の戦国時代の典籍『列子』に載せられた説話。

もともとは『列子』の中の伝説で、次のような話である。

太行山・王屋山が、現在の位置にあるのは、愚公という老人が自宅近くのこの山を邪魔に思い、家族総出で山を崩し始めたからだというのである。愚公の行為を見ていた智叟(ちそう)という人物が、「山を人力で崩せるはずがない」と批判すると、愚公は「山は増えないから、人間は子々孫々この事業を続ければ、いつかは山を移動できる」と自信満々に答えた。それを聞いた天帝が姱娥氏の二人の子に山を背負わせ、これを動かした。 毛沢東は1945年6月にこの話を演説で引用し、二つの山を日本と中国国民党政権に、愚公を中国共産党に例え、どんなに敵が強力に見えても、我々が山を崩し続ければ、天帝にあたる中国人民は我々を支持してくれるのだと訴えた。この毛沢東の論文は、文化大革命の時代に「人民に奉仕する」「ベチューンを記念する」の短い文章とあわせて「老三篇」と呼ばれ、パンフレットで普及された。