品番:AB-43
品名:染付十二生肖像「そめつけ:じゅうにせいしょうぞう」 「「一套」
サイズ約: 高23cm 横8cm 奥7cm
約重700gx12=8.4kg
価格: 品切
裏に大明宣徳年製とありますが、?・?
★新しい品では有りません 現地調達品 キズやスレがありますが、おおむねよろしいかと思います。
中国でも滅多に探し出せません
十二生肖(じゅうにせいしょう)は十二支に鼠・牛・虎・兎・龍・蛇・馬・羊・猿・鶏・犬・豚(猪)の十二の動物を当てたものである。
その内訳を見ると、牛・馬・羊・鶏・犬・豚は六畜と呼ばれる古代中国における代表的な家畜である。また鼠・牛・虎・兎・龍・馬・羊・犬・豚は漢字において意符となり、部首となっている。このうち龍のみが想像上の動物である。漢字の「猪」は中国ではブタも含めた言葉であり、イノシシのみを指す場合は「野猪」と表記する。日本の場合、明治に入るまでは(一部地域を除けば)ブタは普及しておらず、猪はイノシシのみを指す言葉であった。
その成立時期は従来、後漢の王充『論衡』にあることから後漢頃とみなされていた。が、湖北省雲夢県の睡虎地秦墓から1975年に発見された竹簡(睡虎地秦簡)のうち卜占に関する『日書』の部分に十二生肖の記述が見つかり、紀元前200年代の秦の時代には既に成立していたことが分かった。『日書』には次のようにある。
「子、鼠也。…丑、牛也。…寅、虎也。…卯、兔也。…辰、(原文脱落)。…巳、蟲也。…午、鹿也。…未、馬也。…申、環也。…酉、水也。…戌、老羊也。…亥、豕也」
唐代になると十二生肖を象った彫像が作られるようになり、獣頭人身で手に笏をもち文官の服を着る姿で表された。これらは墳墓の副葬品に入れる陶俑として作られたり、墓誌銘の四周に彫刻されたりした。またこれらの彫像は仏教において薬師如来の眷属である十二神将を表すのに用いられて日本に伝播し、武人像の下に十二生肖を彫刻したり、十二生肖の獣頭人身の姿で作られたりされた。
また民間において紀年や人の生年を表すのに使われるようになった。特に新年を迎える際に用いられ、中国では春節(旧正月)になると新年の十二生肖にちなんだ催しが開かれ、日本でも正月のやりとりする年賀状の図案に使用される。
★十二支のひみつ: 天の神様は動物達を競争させ12匹の動物を選び、その名前で年を呼ぶことにしました。この時ねずみの策略で13番目になってしまったネコは十二支に選ばれなかったため、ねずみを追いかけるようになった、というお話。これは中国の童話で、ほとんど誰も子供のときから自分の十二支に興味があり、またほとんどの子供がこの話の中の猫と鼠の因縁の筋を知っています。