品名:達磨東渡図  拓本 
品番:TUO-4
サイズ: 114cmx54cm
価格:¥3.980「税込」 在5


※達磨は南インド香至国の第3王子で、姓を刹帝利(クシャトリア)といい、般若多羅から仏法を学び、その根本思想は「二入四行」であったといいます。
 中国遊化のため南北朝の470年ごろ広東省南臨の海南島に上陸し、南朝の梁の武帝に心から尊び敬われ、普通年間(520〜526)以前には既に魏に赴き、河南省崇山の少林寺で終日面壁座禅をすること9年にして、ついに悟りを得、中国禅宗の始祖となりました。
 彼は東魏の孝静帝の天平元年(534)で150歳あまりであったと伝えられ、諡号は円覚大師あるいは達磨大師です。
 この図は、達磨が海南島に上陸してから、魏に赴く東渡の様を石刻画にしたものと思われます。
 左上に「葦を折る揚子江のほとりの旅人は、西から来て、この東の地に渡り来た達磨大師である」とあり、続けて「大意人人有 空走徒労心 直指人心 己巳仲冬瘋顛写」とあります。この部分は禅特有の言葉のようで、難解ですので原文のままに止めます。
 ただ、「己巳」という年が明代の何時なのかという点ですが、10干12支によって示される年号であることから、1389年・1449年・1509年・1569年・1629年のどれかということになります。
 瘋顛は、『大漢和辞典』によると「風顛、清の僧、陝西の人。俗姓は李、名は福。14歳にして妻を娶る。18歳にして一夜猛然として無常を悟り、西山寺に往き出家す。著に語録6万余言がある」と説明されています。これが筆者と仮定すれば、崇禎2年(1629)の刻かと想像されます。


達磨東渡図  拓本


達磨東渡図  拓本


達磨東渡図  拓本




達磨東渡図 蔵石編号 756
行書 明(1368〜1644)
瘋顛和尚画并題
1949年、前陜西省歴博より移管
竪方形 円頂 方座

達磨東渡図  拓本
西安碑林公園の達磨東渡図の石碑