多彩の色釉磁器

色釉磁器の歴史

色釉は、一種の芸術釉で、中国でもっとも伝統的な特徴をもつ逸品である。多種多様な品種の中には、色鮮やかで人の眼を奪う銅紅釉、色とりどりで変幻きわまりない花釉、重厚で古風あふれる茶粉釉、典雅で艶麗な美人サイ、明快潤沢で玉のようにみずみずしい青釉、吉祥の意を表す三陽開泰などのすぐれたものがあって、広く愛用されている。

 景徳鎮では、五代の頃に越州窯系の青磁の風格をもった青釉が開発された。宋代には影青磁が開発され、天下にその名声を博した。北宋の初年、鈞窯で均紅が初めて焼成されたことにより、中国における青磁の独占的地位はついに後退した。元代には、宋末の均器複製の基礎にたって、単色の紅釉を開発し、これは中国最初の純粋の紅釉である。元代には、このほかにも梅瓶、高足杯、盤、碗などに施されたコバルトを発色剤とするサイ藍釉が開発され、元代の色釉の開発史に輝かしい一頁を書きそえた。

 明代の色釉の開発には元代より一層進展がみられた。紅釉の焼成は永楽年間に全面的に成功を収めた。当時、宮廷は紅釉で祭器を焼いたので、この紅釉は「祭紅」となずけられたのだが、このほかにも「サイ紅」、「酔紅」、「積紅」、「極紅」、「鶏血紅」、「牛血紅」などともよばれた。祭紅は酸化銅を発色剤とし、強化度還元焔(焔を出さずに燻し焼きにする方法)で焼成したものである。酸化銅は強化度にあえば揮発しやすいので、この種の紅釉を焼成するには、銅成分の調合ばかりでなく、還元焔による焼加減にも細心の注意をはらわなければならない。そうでないかぎり、理想品は得られないのである。祭紅の焼成技法は、宣徳年間にはもうかなり熟練の域に達していた。

 「景徳鎮陶録」という陶書には、「嘉靖二十六年、皇帝の命による鮮紅器物の焼造は成功の域に至らず、御史の徐紳は礬紅をもってこれに代えたいと奏上した」とある。この時から、祭紅の焼成が中断され、礬紅釉が生まれたのである。成化・弘治年間の焼成による半強化黄釉は特に色が濃い。この黄釉を白釉のかかった磁器にかけると、ほかにはない艶麗さをみせるので、「嬌黄」(なまめかしい黄)とも呼ばれている。成化年間にはまた、半強化孔雀緑釉が開発された。これは宋代に焼成された濃い青緑色よりもすぐれており、孔雀の翠緑色羽毛のような艶麗さをもっている。嘉靖年間の霽藍釉は、元代の孔雀藍に近い釉を洗練させたもので、その濃厚な色調は人々におだやかな感じを与える。

 このほかに明代の各時期にも宋代諸名窯の製品の複製品があって、中でも永楽年間の龍泉窯複製品と成化年間の哥窯複製品は特に優れており、実物にも劣らないといわれている。

 清代の陶芸は、宋・元・明の伝統を継いで一層発展し、さまざまな色釉の競合する時代に入った。特に康煕・雍正・乾隆三皇帝の御窯品は精巧を極め、前代の作品をもはるかに凌いでいる(磁器概説より)。

 康煕年間の色釉の中で、深紅がもっとも目立っており、特に郎廷極が自らの窯で開発した紅釉は、凝固したばかりの牛の血のような深紅色を呈し、これを薄く切ったものをひねっても、傷跡などが見られず、そのあでやかさが高く評価され、俗に「郎紅」(郎窯紅釉)と称されている「日本では辰砂といわれている」。

 さて郎紅と祭紅、均紅との区別についていえば、

一、祭紅は淡紅を呈し、釉面に牛毛文がなく、釉色は安定していて流下しない。

二、均紅は色が冴えており、釉面に牛毛文が走り、釉は滑らかで器面に散らない。

三、郎紅は釉が流下して口縁部は淡紅に、裾の方は紫黒色の溜りを見せ、器面に多少散る場合もある。

 雍正・乾隆年間、陶磁技術は一層磨きがかけられ、成熟の域に達し、その技法などは哥窯、汝窯などの名窯に追いつき、追い越し、銅器、竹器、木器の模造品は真にせまっている。茶粉釉は、雍正年間に始まったものだが、乾隆年間の茶粉釉は抹茶がふりかかっているように見え、その出来ばえは高く評価されている。茶粉釉面は濃い緑色を呈しているが、明るさに欠けているので、その釉面に自然の美しい黄色の星のような点がきらめき、それが抹茶のように見え、古風な感じを与える。雍正・乾隆年間の窯変、炉均、冬青、粉青、祭紅、開片釉などはいずれもすばらしいもので、当時は名窯の磁器を真似たさまざまな器物がつぎつぎに生まれ、名釉の伝統を受け継いだ色釉が次々に考案されるなど、繁栄を極めた。

 乾隆年間以降、景徳鎮の磁器製造業は日ましに衰退の一途をたどった。世間は古代逸品の複製に流れ、創作活動はさっぱりふるわなかった。特に光緒年間から民国時代にかけて、「大紅、深紅、?脂紅などといったような模造しがたい色釉でさえも模造され、専門家も往々にして、まんまとひっかかった」と、「陶雅」に記されているが、古代の色釉に対する当時の複製がいかに真贋の見分けがつかないほど巧妙になっていたかがうかがえよう。

 新中国成立後、色釉は昔の伝統を受け継ぐ一方、新たな高、低火度色釉の品種を次々に開発した。科学の発展にともない、陶磁器の科学工業原料の生産、消費は日増しに伸び、色釉の製造もその刺激を受けて一段と進展をとげた。色釉の焼成には発色材に用いられる純粋な化学工業原料がなくてはならないが、これさえあれば、予期の効果が収められるばかりでなく、陶磁器というものは火で焼く芸術品であり、色釉というものはまた、火の加減によって初めて理想の製品が得られるのである。したがって焼成技法も常に改善され、向上している。これまでかなり多くの有名な色釉はほとんどが薪炭用窯炉で焼成されたものであるが、最近では石油窯炉でも三陽開泰などのようなすぐれた色釉を焼成することができるようになった。