品名:粉彩花鳥柄:養盆「コオロギ入れ」
品番:TO-110
サイズ約: 直径11.5cm 高さ10.5cm 重さ750g
材質:磁器 「景徳鎮」
価格:4.980「税込」

同治帝(どうちてい)は清の第10代皇帝(在位:1861年 - 1875年)。廟号は穆宗(ぼくそう)。
咸豊帝の長子で母は西太后。晩年の咸豊帝は西太后の権力志向を嫌っていたため一時遠ざけたが、
咸豊11年(1861年)に咸豊帝が崩御すると西太后らが辛酉政変で怡親王載垣、鄭親王端華、粛順ら咸豊帝の側近を排除、
同治帝は西太后らによって擁立された。即位当初から継母の東太后、母や叔父の恭親王奕訢による摂政で政治が進められ、
在位中を通して実権は母に握られていた。同治3年(1864年)に14年にわたった太平天国の乱がようやく終結した。
しかし乱を終結させたのは漢人の曽国藩・李鴻章らの個人の軍である湘軍・淮軍である。
西太后に信任された李鴻章により、政治と軍隊の洋化が進められた。

粉彩花鳥柄:養盆 コオロギ入れ   中国工芸品


同治10年(1871年)、台湾へ漂着した琉球島民54人が殺害される宮古島島民遭難事件が発生し、
日本政府は清へ抗議するものの台湾原住民は統治外の民であるとの返答を受け、
同治13年(1874年)、西郷従道率いる日本軍が台湾を占拠した(台湾出兵)。
日本の大久保利通との交渉で清は日本に賠償金支払いと日本の出兵目的を間接的に認める措置を取り、
台湾を清領にとどめることには成功したものの、清への朝貢国でもあった琉球王国を日本に帰属するものと認めることになった。

粉彩花鳥柄:養盆 コオロギ入れ   中国工芸品


粉彩花鳥柄:養盆    中国工芸品


粉彩花鳥柄:養盆 コオロギ入れ   中国工芸品

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同治14年(1875年)1月12日、同治帝は19歳の若さで早世した。清東陵に陵墓がある。
子供が無かったため、次の皇帝は従弟の光緒帝が擁立された(父は咸豊帝の弟である醇親王奕譞、
母は西太后の妹であり、光緒帝は父方・母方ともに同治帝の従弟に当たる)。

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