品名:年画 「三国志 甘露寺」  
品番:SAN-10 
サイズ:縦34.5cmX横47.5cm「紙」
サイズ:縦22cmX横31.5cm「版画部分」
材質:宣紙
価格: 
¥480「税込」 品切
産地:中国・山東省:潍坊 杨家埠



鎮江は、かつては京口、丹徒などと呼ばれ、三国時代には呉の孫権が一時、京口に都を置いた。北固山は、高さ53メートルの小高い山。
麓の山門を入ると花壇のような庭が広がる。北固山には三国東呉甘露元年(西暦265年)に建立されたとされる甘露寺があり、その麓に劉備、
孫権の像がある。三国志演義が好きな人ならすぐにどの場面か思い出せるだろう。甘露寺は「劉備招親」に関係のある多くの遺跡があるが、
劉備玄徳と孫尚香との挙式場として知られる。演義の虚構なので「嘘が本当になった話」である。


劉備を初めて見た孫権はその風格に並々ならぬものを感じました。
そして呉国太の顔にも笑顔が浮かんでいたのでした。しかし部屋の周りにはたくさんの刺客が取り囲んでおり、孫権が杯を落とす合図をいまやおそしと待っていたのです。そこへ趙雲が入ってきました。
長坂坡で阿斗を救い出した趙雲の武勇は呉国太も聞き知っており、趙雲に会えたことを大変喜び、彼に酒をすすめました。
しかし刺客が潜んでいることに気付いた趙雲から劉備がそれを聞くと、いきなり呉国太に向かって自分の命が欲しければここでとってくれるようにと言い出します。
呉国太は事の次第をすぐに悟り孫権を問い詰めますが、彼が知らぬふりでとぼけた為に怒って彼に杯を投げ付けます。
それを合図と勘違いした刺客達がすぐに乗り込んできました。呉国太は大変怒り、その刺客を処分するように言います。
しかしここで処分者を出しては婚礼が血で穢れてしまうから許してくれるようにという劉備の頼みを受け入れ、呉国太は刺客達を許し、刺客も命を救ってくれた劉備に感謝するという孫権にとってはなんともふがいない結果となってしまったのでした。





年画「木版画」 三国志 甘露寺