中国文物真贋道中膝栗毛    犬飼和雄

                 十一  どろどろはげはげごつごつ

 例によって私は、佳川文乃緒といっしょに中国屋チャイナウォッチングの店に入ると、店主の保坂さんの前にテーブルをはさんですわった。十二月九日、比較的あたたかい日だった。私はなに気なく保坂さんと話しをはじめた時、ふっと誰かに呼ばれた声を耳にした。
佳川は最近では中国文物のおもしろさがよくわかってきて、私と保坂さんが中国文物談議をしていると、よくうんざりしたように帰りましょうとささやくのだが、その声は、佳川とちがってためらいがなかった。が、女の声だった。

 私は声の主を求めてうすぐらい店の奥に目をやり、まさか、と思わずつぶやいて立ち上がり、声の主のところまでたどりつき、うっとうめいて目をこらした。自分の目が信じられなかった。

 声の主は、ガラスケースの上で肩をそびやかし私をぎょろりとにらんでいた。

 その瞬間、私がどうして呼ばれたのかはっきりわかった。この、どろどろはげはげごつごつ を買う日本人など、もちろん佳川はもちろんのこと私だっているはずがなかった。どうして保坂さんはこのどろどろはげはげごつごつを仕入れたのだろうか。売れると思ったのだろうか。

 それともこれに魅せられるのは保坂さんぐらいのものだから、商売抜きに仕入れたのだろうか。それ以外は考えられなかったが、呼ばれたのは私だった。死者の血や骨や肉のまじった泥を全身にぼろぼろにまといながら、それは、はげっちょろけの黒い目でなにか訴えるように私をながめていた。

 訴えかけられると無視できなくなって、私はこのどろどろはげはげごつごつの世界にひきこまれた。気がつくと、私はそれを両手でかかえてだきあげた。いつもこれをしてしまうと、次に私が保坂さんにいうことばはきまっていた。

 そのどろどろはげはげごつごつは、高さが八十センチあまりで、頭には十センチと三センチあまりの角がたてに並んでそそり立ち、耳はつばさのように大きく顔の左右にはりだしていた。目をむき、歯をむきだし、ぎょろりと黒い目で、といっても、今は、角も耳も目も口も、どろがこびりついて、その泥からは死臭がただよっていたが、私にじっと目をこらしていた。

 肩には耳と同じ大きさのつばさがはり出し、四つ足でうっそりとすわっていた。これはまぎれもなく唐代の素焼きに黒や茶で色を塗った加彩俑、きとうと呼ばれる怪鬼で、死者の護衛として墓に埋められたものだった。守墓神とも呼ばれいた。

 私はそのどっしりと重い守墓神をだきかかえながら、思わず私があなたのお墓にもぐりこんで盗みだしたのではないですよと、弁解したくなったが、さすがにそんな弁解を私がする必要もないと冷静になり、これはと熱くなり、二度とこれが私の前にあらわれることがないと気がつき、こんな時いつもはくことばをはいた。

「保坂さん、これはいくらですか」
「先生、先生」
と佳川文乃緒が例によってたまりかねたようにいった。
「そんな泥だらけのおそろしい怪物をだいたりしているとかぜをひきますよ。早く手を洗うといいですよ」
 私はかぜどころじゃないと佳川を無視して保坂さんの返事を待った。
「すばらしいものでしょう。ちょっと手に入らないものですよ」

「そうですよ。こんなものに手をだす人はいません。もしこれが私の家にあったらここに捨てにきます」
と佳川がめずらしく反論した。

「それをお買になるのですか」
「いくらですか」
と他人が口をはさむ前にと保坂さんをうながしたが、ここで他人といえは佳川文乃緒、残念ながら佳川にはこの文物の価値がわからないからあせることもないかと思ったとたん、保坂さんがこれの値段をいい、それが私に買える値段だったので、保坂さんもこのきとうの価値がわからなくてよかったと、私はにんまりと墓からでてきた地と肉と骨の泥まみれのどろどろはげはげごつごつを手に入れた。


「先生の研究所にあとないのはもう一つだけですね」
と私が守墓神を荷造りしていると、佳川文乃緒が真顔になっていった。どうやら冗談でも皮肉でもないようだった。
「えっ、もう一つ、この一つがあれば十分すぎますよ」
と私は守墓神に気をとられながらいった。
「そのもう一つとはなんです」
「死体ですよ」
「うん、そうだ、死体だ」
と私は佳川のことばに誘発された思わず叫んだ。

「そうだ、死体だ。この守墓神は誰を守っていたのだ。そうだ、遠い中国で墓の主を守っていたのだ」
「そんな死体じゃありません」
とめずらしく佳川はきつい口調でいった。
「研究所の死体ですよ」
「この守墓神が守っていたのは私じゃないさ。」

 私は守墓神をもってかえると、陳列室のテーブルの上にそれをおき、私は椅子にすわってじっと問いあっていた。そのうちに、守墓神がふたたび、なにか私に語りかけているような気がしてきた。私は思わずつぶやいた。
「なにをいっているんだ」
そうつぶやいてから部屋を見まわした。こんな時、ここに佳川がいたら、今までもそういうことがよくあったが、声が合唱になって、佳川のはりのある声が、守墓神の声を吹きとばしてしまうのだが。
「先生、その声は男の声ですか、女のですか。それとも犬のですか、猫のですか」
とである。

 佳川は女だからリアリストで、しかも歌い手だから、声といえば犬や猫になってしまうのだ。声が犬や猫だけでないのがわからないのだ。
「そうか」
と私は佳川がかたわらにいないので、守墓神の声をききとることができた。
「たしかにそういわれればそうだ」
と私は大きくうなづいた。

 私は今まで中国文物(骨董)に魅せられてやっためたらと文物を収集したあげく、その本物、贋物に興味をもち、それをエッセイに書いたりしていたが、もう一つ満足できなかった。これぞ本物だという物を手に入れたことがなかったからだ。我が研究所の中国文物はいずれも真贋ふたまたをかけているものばかりだったからだ。

 それをこの守墓神の泥、はげ落ちてごつごつになっているその顔、角、胸、手と足、しかもその泥が墓の血と骨と肉、骨董というのは古いと同時にそこに美が認められなければならないのに、そこに醜があったら、そこに穢「ケガレ」があったら、そのために、誰も買って飾らない、さわらないどころか目さえそむける、そんな贋物を誰もつくるはずがないから、というより、私に本物贋物を論じさせないほど、これはみごとなかけがえのない正真正銘の本物で、それを私に教えに来てくれたのだと、私は大きくうなづいたのである。


 そこで部屋をでた。夜になった。
 守墓神が呼んでいた。私は首をかしげながら守墓神の部屋へ行き、電気をつけて、ふたたび守墓神とむかいあった。夜の守墓神は守墓神らしい暗くて重くて陰々としていたが、その歯をむきだしている口もとはどことなくやさしく、そのぼろぼろにこけたほおは、どことなくなめらかで、今まで考えたこともない言葉が浮かびあがってきた。

 「女守墓神」女守墓神とはなんだと私はつぶやいた。その意味はわからなかったが、私の目は守墓神の額に吸いよせられていた。そこも泥がこびりついていたり、はげ落ちたりしていたが、それが泥の塊だとしても、まちがいない、額に黒子が、黒い刺青が浮きあがっていた。
 ふっと、私の口をついてことばがもれた。

 怨めば不忠、怨まねば不孝。

 まさかと私は打ち消しながら、、そのまさかの世界にひきこまれていった。
 暫?山第遊ーざんじ山荘に遊び
 淹流惜未帰ーとどまること惜しみて未だ帰らず
 霞窓明月満ーかすみのかかった窓に明るい月の光があふれ
 澗戸白雲飛ー渓流に面した戸に白雲が飛ぶ


 唐の二大皇帝、高宗は皇后である武則天の権力があまりに強くなったので、宰相である上官儀とはかって、武則天を廃しようとしたが、それを察した武則天に先手を打たれた殺されてしまった。上官儀だけではなく、上官一族は殺されるか追放されてしまった。
 その時、赤ん坊だった上官婉児は赤ん坊だったので命は助けられたが、後官に入れられた。この事件では、婉児の父も殺されている。
 ところが、婉児は成長するにつれて才能を発揮するようになった。その詩が高い評判を受けるようになった。

 その頃は、武則天が唐を亡ぼしてみずから皇帝になろうとしていた。そのため、敵対する者は我が子といえども抹殺したのである。その一方、有能な人材を求めていた。そういう側近がいなければとうてい皇帝になれないと信じていたからである。その武則天が婉児の才能に目をつけたのは当然のなりゆきだったが、忠実に自分には仕えるかどうかもう一つ疑問だった。そこで、それを見きわめるために、一つの傾向を用意して婉児を呼んだ。婉児十四歳だった。

 まだあどけない表情をただよわせている婉児は、武則天に呼ばれた時、顔がこわばった。一族を皆殺しにした武則天である。へたなことをいったら殺されるぐらいのことは十分に承知していた。
 武則天は婉児がひざまづくやいなや、うむをいわせない口調でいった。

「お前の祖父を、父を殺した私をどう思っているな」
 婉児はとっさに答えられなかった。

「さえ、答えなさい」
と武則天が威圧するようにうながした。

 婉児はそのことばにさそわれて、いわずもがなのことまで答えてしまった。

「怨めば不忠です、怨まなければ不孝です」

 婉児は不満気に顔をゆがめた武則天を見て、絶望して目をつぶった。武則天はその返事の後半は許せないと思ったが、十四歳の少女としてその返事があまりにもみごとなので、一抹の不安はあったので、かくれて行動ができないように、自分の側近であることを常に知らしめるようにと、額に黒いまるい刺青をほどこしたのである。

 上官婉児はこの額に黒い烙印のために武則天の権謀術数の殺戮のくりかえされた宮中に閉じこめられながら、武則天の死後も、中宗、韋后の時代をたくみにいきぬいた。そのかたわら詩を書いたが、それは権謀術数の殺戮とは全くなんの関係もない塵外の静粛をうたったものばかりだった。婉児はせめて詩の中に平安を、やすらぎを求めていたのであろう。

 しばらく山荘に遊び
 とどまりて惜しみて未だ帰らず
 かすみのかかった山荘の窓に明月が満ち
 渓流に面した戸に白雲が飛んでいる。

 しかし婉児のたくみな生きかたも、心の平安も長くはつずかなかった。韋后を倒そうとした李隆基、後の玄宗皇帝のクーデターの時、韋后に仕えていた婉児は、額の黒い烙印を李隆基の刀で割られて死んだのである。四十七歳だった。

 しかし後に婉児も韋后を倒そうとしていたことを知り、玄宗皇帝は早まって婉児を斬殺したことを悔いて手厚く葬むった。唐の時代、死者を手厚く葬るということの一つは、その墓に死者を守る守墓神を入れることだった。玄宗皇帝が上官婉児の墓に額に黒い烙印をおされた守墓神を、それも女のきとうにして入れ、婉児の死後の冥福を拝った、十分にありうることだった。

 私はじっと目の前の守墓神の額の黒いまるい刺青をもっとたしかめようとして目を近づけた。するとそこは、ただのどろどろ、はげはげ、ごつごつ。これほど泥まみれの守墓神の額に、黒い刺青など見えるはずもないのだと私は気がついて、玄宗皇帝が上官婉児の墓に額に黒子のある女の守墓神を入れたことはあっても、それがどうころんでも、万が一にも、私の目の前にあることなどないということに気がついた。

 私の目の前のどろどろはげはげごつごつがそんな無知の私をあざ笑っているのがわかったが、その笑いは決して本心を見せるどころか、ただの保身のため、生きぬくための笑い、ふたたび額の黒子が浮かびあがってきた。
 あの声がふたたび私の耳にまぎれこんできた。それはまぎれもなく女の声だった。