竹の呪文                     犬飼和雄


 父が死んだという電話を受けたのは、私が成都の四川大学に留学していた、1989年の10月17日の夕方だった。
 私は五人兄弟の長男だったので、すぐに日本に帰って来いということだった。
   私はすぐには動かなかった。
 1989年の中国、そんなにかんたんに航空券がとれるものではなかった。しかし私が動かなかったのは、それだけの理由からではなかった。

 父は晩年尺八三昧の生活をたのしみ、その父のまわりにはたえず尺八の仲間が五人六人と集まっていたので、その仲間たちが父を手厚く葬らってくれるとわかっていたからだ。その意味では私は失格だった。それに父は八十三、その生涯を納得して閉じたはずだ。私なりにこの成都で父を葬らえば父は納得してくれるはずだ、と私なりに理解し、といっても、どう葬らえばいいかわからないまま立ち上がり、ごく自然に足は望江楼公園にむいていた。


 望江楼公園というのは、四川大学の西側に隣接している竹の公園で、私が好んで足をむけるところだったが、今日は、その竹林に足をいざなわれているのを妙にはっきりと意識した。

 その竹の公園には、節と節との間が人間の顔のような人面竹とか、木のように枝をはっている木竹とか、太さが二十センチ以上もある太竹とか、葉が緑と黄からなっている班竹とか、百種類以上の竹があったが、今日はそういったものは目に入らなかった。目に入ったのは、すらりと伸びた竹の幹だけだった。閉園の五時に近かったので、竹林には人影がなく、ただコウモリだけが竹林の上空で狂ったように舞っていた。


 私は竹林をただ漫然とさまよっていたが、気がつくとまわりの竹の幹からにじむようにただよってくる竹の音に、その竹音があの低い太い六段の曲に変わるのに気がつき、ちらっととりとめもなく、八橋検校はこの曲を父の死を葬るために作ったのではないか、そういえば哀調があるなとじっと足を止めて耳をすませていた。



 おやじが例によって正座して尺八で六段を吹きつずけ、ぼくもその前に正座して尺八でおやじのように六段を吹こうとしていたが、今夜も足がしびれるほど吹きつずけているのだが、例によってぼくの尺八から出るのはただの音だけ。もうこんなことが一年近くつずき、さすがのぼくも、これは尺八がわるいのではないか、おやじの尺八とかえてもらいたいと思うようになっていたが、おやじの尺八は吉田清風からゆずりうけたとかいって、ぼくにはさわらせてもくれなかった。吉田清風というのは尺八の琴古流の名人だということだった。

 ぼくがおやじの前にすわらされて、尺八を吹かされているのは、おやじがぼくと六段を合奏したいと思いついたからだった。もっともぼくだって六段を聞くのは好きだったし、おやじが吹けるぐらいだからぼくにだって吹けるはずだと、おやじへの対抗意識はないわけではなかった。
 それにしても一年近く吹きつずけて音が曲にならないと、特に今夜は足のしびれが特にひどいので、今ではどこにもしまいこんでしまったのか姿を見たこともないハーモニカが忽然と私の前に姿をあらわし、そのハーモニカの音が尺八の音と重なった。


 あれは小学校の四年の時で、ハーモニカを買わされ吹く練習をさせられたが、あの時も音はでるのだが、どうしても音が曲にならなかった。ぼくは家の縁側で舌の先がざらざらになってしくしく痛むまでハーモニカを吹いていた。せめてハトポッポぐらい吹きたかったのだが、ぼくのハーモニカからでるのはハトの鳴き声だけだった。

 するとめずらしく家にいたおやじがふらっと縁側にでてくると、思いがけないことをいった。
「そのハーモニカをかしてみろ」
「えっ」
とぼくはとっさにおやじのことばがわからなくておやじの顔を見かえした。
「おまえのハーモニカじゃな」
とおやじが笑った。
「いくら吹いてもだめだな」
「どうしてそんなことがわかるんだ」
とぼくはあっけにとられた。当時おやじが尺八を吹いているのは知っていたが、ハーモニカを吹いているのを見たことも聞いたこともなかった。

「ハーモニカはな、口を動かすのではなく、ハーモニカの方を動かすもんだ」
とおやじはいうと、ハーモニカをたくみに動かして戦友を、軍歌を次々に吹きだした。その時、おやじは六段も吹いたようだったが、当時のぼくにはそんなことはわからなかった。それでもおどろいておやじにきいた。

「どうしてハーモニカをそんなにうまく吹けるの。だれにおそわったの」
「だれにおそわったわけでもないさ。見ようみまねでおぼえたんだ」

とおやじはぼくにとって考えられもしないことをいった。ぼくは学校でおそわり、家で練習し、そのあげくがハトの鳴き声どまりだったからだ。舌がざらざらになって、からいものが食べられなくなったからだ。おやじもそれを知っていたはずだが、ハーモニカは教えてくれなかった。


 この頃ではさすがに、ぼくには音を曲にする才能がないのではないか、おやじはどう考えているのだろうかと思うようになっていた。そんなぼくの迷いに気がついたのか、十二月はじめの六段の練習が終わったあとで、おやじが思いもかけないことをいいだした。

「あした尺八をさがしにいこう。まだ大人用ではむりかもしれない。おまえの体にあったものでないと音が曲にならないかもしれない」

 どうやらおやじはハーモニカの件は忘れてしまったようだった。

「え、尺八を、ぼくの尺八をさがす。どこにあるの」
とぼくはおどろいてきいた。
「竹やぶにきまっているじゃないか」
「竹やぶって」
とぼくはまだおやじのいっていることがわからなかったが、おやじはそれには答えないでまったく別のことをいった。

「次の日曜日だ、朝の四時に家をでるぞ」

 朝の四時、おやじは手にのこぎりをもち、地下たびをはいて、玄関でもうぼくを待っていた。そんなおやじを見ても、ぼくはまだおやじがなにをしにいくのか見当もつかなかった。見当はつかなかったが、あわててズックをはくと、おやじについて外へ出た。

 ぼくはその時までおやじと二人だけで歩いたことはほとんどなかった。おやじといるとそれだけで気づまりだったが、今は尺八から音しかだせないという負目が加わってよけい一緒にいたくなかったが、こうして歩きだしたらもうおやじについていくしかなかった。

 それにしてもおやじはどこへ行くのだろうと思っていると、おやじはただひたすら町の南の方へ向かっているようだった。
 おやじが足を止めたのは、あたり一面竹でおおわれている場所で、そこが八沢という竹の小村であることは、ぼくにもわかった。それにしてもおやじはここでなにをするのかと見ていると、ようやく朝日がさしてきて明るくなったので、おやじは竹やぶをかこっているバラ線をもちあげると、竹やぶにもぐりこみ、ぼくにも入ってこいといった。

 竹やぶの中に入ると、おやじは竹を一本一本丹念に見てまわり、時々かがみこんでは竹の根元に積っている竹の枯葉を手でかきわけたりしていたが、なにをしているのか、ひとことも説明してくれなかった。それどころか、ぼくも目に入らないかのように、ただひたすら竹に目をこらし、時に両手で竹をつつみこんだりしていた。


 それがどのくらいつずいたろう。やがておやじが満足げに笑いながらぼくにいった。
「これはいいぞ」
「いいって、なにがいいの」
とぼくはあっけにとられた。
「きまっているじゃないか、尺八にするにだ」
「この竹で尺八を作る」
とぼくは父のことばが信じられなかった。
「この竹を切る」
「そうだ」
「今すぐここで」
「そうだ」
とおやじはこともなげにいった。

「それじゃ竹泥棒じゃないか」
とぼくは抗議した。
「見つからなければ泥棒じゃないさ」
とおやじはにやりとした。
「もし見つかったら」
「たかが竹一本だ、この竹やぶの持ち主も文句はいわん。それに竹はたえず間引きをしているので、持ち主の手伝いをしているようなものだ」

 ぼくはおやじの説明に安心できなかったので、誰もいないな、と思わずあたりを見まわした。
 すると、おやじがまたまた思いがけないことをいいだした。

「おまえの尺八を作るのだ。おまえがこの竹を切ってみろ」

 そこまでいわれると、それにおやじ一人に竹泥棒の罪をきせるわけにもいかないので、気はすすまなかったが、おやじからのこぎりを受けとった。それでももう一度あたりをうかがってから、その竹の根もとにかがみこんで、その根もとにのこぎりをあてようとした。するとおやじの大きな声がとんできた。

「そこを切ってはだめだ」
「えっ、でも、根もとを切るんだろ」
とぼくでも、尺八の下の部分が、竹の根もとだというぐらいは知っていた。
「そうだ、根もとを切るんだが、もっと下を、土を切るんだ」
とおやじがいった。

「土を切るって」
「いいか、のこぎりを土につきさし、土の中の竹の根もとから切るんだ」

 どうやらおやじは竹泥棒の常習犯のようだったので、それではぼくも捕まることはないなと安心し、のこぎりを土につきさすとのこぎりをひいた。土の中なのでのこぎりをひく音もたいしてひびかなかったので、あらためておやじの竹泥棒に感心したが、感心するのはまだ早すぎた。おやじは一本だけではなく、三本四本と竹を捜し、結局六本ほど竹を切った。どんどん竹やぶが明るくなったので心配だったが、六本目を切った時、おやじがいった。

「この六本のうち尺八が一つできればいい方だぞ。できなかったら又来るんだぞ」

 ぼくはおやじの分までうしろめたかったので返事はしなかったが、それでも、うまくできればいいなと、一メートルほどに切った竹を三本かついでだれにみとがめられることもなく、ぶじに家にたどりついた。

 二月(ふたつき)ばかりして、おやじがぼくに少しほそめの尺八をわたしてくれた。

「いそいで作ったのであまりうまくはできなかったが、音のではまあまあだ。それにこれはおまえが切った竹でつくったのだ。おまえになじむかもしれんぞ」

 しかしおやじの予想に反して、その尺八からもあいもかわらずでてくるのは音だけだった。こんどは盗竹の尺八が六段など、うけつけるはずがないと思うようになった。それでもなんとかして音を曲にしたいとおやじへの対抗心も手伝ってぼくはねばった。なにごともなければ、まだ一月や二月はねばったはずだったが。



 それは三月、中学からの帰りで、ぼくは友人の太田と町の住宅街を歩いていた。すると尺八の音が聞こえてきたのでそちらへ目をやると、太田の方がぼくより目ざとく尺八の主に目をとめて、いかにもばかにしたようにいった。

「あそこにきたねえ虚無僧こじきがいるぞ。ああはなりたくねえな」

 その虚無僧は、太田のいったとおり、やぶれた虚無僧の深編笠をかぶり、やぶれ衣をまとい、十メートルばかり先の家の玄関で尺八を吹いていたが、そこの家人からなにか恵んでもらったようで、吹くのをやめてぼくと太田の方へのそのそと歩いてきた。

「こじき虚無僧か」

とぼくは同情したが、同時に、こじき虚無僧を見るなどめずらしかったので、なんとなく虚無僧に目をやっていると、そのこじきがなんのはずみがぼくにどんどん近づいてきた。

「きたねえな」

と太田がこじき虚無僧にきこえよがしの声をはっして大きくよけた。つられてぼくもよけようとして、不意に足が止った。あの尺八は六段だったと気がついたからだった。

 それを待っていたかのように、こじき虚無僧は深編笠をあげ、ぼくを見てにやりと笑った。

「うっ」


とぼくは一瞬息が詰まり、一瞬真っ赤になった。

 深編笠の中の顔は、おやじだった。

 ぼくは逃げだしたくなったし、むしょうにはずかしくて、むしょうに腹がたった。が、太田はなにも気がつかない様子だった。せめてもの救いといえばそれだけだった。
 その時、中学生だったぼくは、おやじがこじきをしていたことがどうしても許せなかった。尺八の六段がぼくの心の中でこじきになった。おやじとまかりまちがってもこじき六段を合奏したくなくなった。太田や他の友だちに、父親がこじきをしていたとわかったらと、怒りがめらめらともえあがってきた。

 そのあとにぼくは二度と尺八を手にとることはなかった。


 今なら、今日なら、もし私が尺八で六段を吹くことができたら、あのぼろぼろの深編笠をかぶり、うすよごれた僧衣をまとって、この成都の町でこじき三昧にしたるのにと、それができない六段の曲が重苦しく私におそいかかってきた。竹林の中にいるのが苦しくなった。私は大学の宿舎に戻ろうと、さっき入ってきた大学の木戸の近くまでもどり、その大学の木戸のまわりにはえている竹に気がついた。

 それは日本の竹、というよりあの八沢村の竹のようにほっそりとしっかりしまった竹だった。それに気がつくと、私はその竹を一本一本、父のように腰をかがめてさぐりだした。すぐに、その根もとにそりのある、太さもまあまあの竹を見つけた。その竹の位置をしっかりと頭にきざみこんでから竹林をあとにし、成都の商店街、春熙楼まで行き、のこぎりとなたを買ったが、もう暗くなっていたのでその夜は四川大学の宿舎に戻った。

 翌朝、私は四時に起きると、のこぎりとなたをタオルでくるんで外へ出た。外は冬の成都特有の霧でびっしりとおおわれていた。これでは人に見られる心配はないがあの竹が見つかるかなと不安ではあったが、早朝、それも霧に埋もれて竹やぶへ出かけていくのは、寒い朝ではあったがこころよかった。

 思ったよりも容易にあの竹を見つけることができた。竹のほうで待っていてくれた。そんな気配がただよっていた。それでも実行に着手する前に、人の気配がないかと霧の中でしばらくあたりをうかがっていた。

 それから私はかがみこむと、まずその竹の根元から一メートルばかりのところにのこぎりをあてた。竹を切るのこぎりの音が、たちこめている白い霧をゆさゆさとゆらし、バサバサと竹が倒れた。それから、その竹の根もとの土の中にのこぎりをあてると、ゆっくりとのこぎりを引いて土を切った。

 思ったより手間どったが、それでもうまく竹を切ることができた。土に埋もれた部分はみごとなそりになっていた。
 私はその一メートルばかりのそり竹を、目の前に立てようとした。なかなかうまく立てられなかったが、まわりに石を集めると、どうにか垂直に立てることができた。霧にぼやけてその私の尺八を見るのはなかなかむずかしかったが、それでも顔を近づけるとどうにかみとめることができた。

 私はなたを両手でにぎると、私の尺八の上にかがみこみ、力いっぱいなたをふりおろした。霧が左右に散っておどったが、私のなたはいたずらに三度四度と霧を裂いただけだったが、やがてカーンと私の尺八がまっ二つに裂け、竹が高く低く音を発しながらはじけとんだ。


 きっと、まちがいなく、おやじはぼくの六段をきいたにちがいない。おやじのにやりと笑った顔が、霧の竹林の奥に妙に鮮明に浮き上がっていた。