中国文物真贋道中膝栗毛 法政大学名誉教授 犬飼和雄
八 小文物珍奇道中 蛙蟾
佳川文乃緒が本気とも冗談ともわからない笑いを浮べながら私に言った。
「先生、私の中国蛙の本物にせものを鑑定していただけないでしょうか。できれば本物を集めた方が効果があると思うのですが、実は最近きがついた事があるのです。中国語では蛙はカエルと読みませんね。ですから、中国蛙を集めてもお金がかえるはずがないのに、お金を口にくわえたり、お金の山の上にのっているのは、中国蛙の方です。どうも中国蛙の方がお金をもってカエルように思われるのですがそこも教えてもらいたいのです。ああ、それからもう一つ、中国蛙には、ことにお金をくわえたり、お金の山にのっているのは、気味の悪いいぼいぼ蛙ですが、どうしてなのかもです」
「中国のお金蛙の鑑定ですか」
と私は苦笑した。私は佳川とちがってかえるがいるとお金がカエルなど信じていなかったので、蛙をまともに文物として扱ったり、その真贋を考えたりしたことはなかった。それでも私がかえるの真贋鑑定ができると認めてくれたのでわるいきはしなかった。
佳川文乃緒は蛙の収集家だったが、その群蛙のほとんどが日本蛙と中国蛙だった。その数は二百匹近くにおよんでいる。
このように佳川が蛙を集めている理由は、それが何処まで本気であるかはわからないが、いや、佳川のことだから本気だともいえそうだが、ごく単純で、お金がカエルからだというのである。お金がカエルことがないと、集め方が少いからだと、さらに蛙収集にせっせとはげむのである。その結果が二百匹以上で、蛙集めに精を出すと、相手の商人にお金がカエルなど、佳川はまったく考えていないようだった。
それでも、佳川はさすがに気がついたようだ。日本蛙ならお金がカエルが、中国蛙ではお金がカエルはずがないとである。
私は日本蛙を集めるとお金がカエルという佳川のお金信仰については信仰の自由なのでとやかく言うつもりはないが、実は佳川のこの信仰の根拠については佳川からもその読み方以外のことは聞いたことがないし、本で読んだこともない。それだけではなく、日本蛙がお金をくわえていたり、お金の山にのっていたりするのを見た事はない。
それに対して中国蛙は・・・・
蛙の中国語音は、いうまでもなく「カエル」ではなく「ウア」である。したがって中国蛙には佳川のお金カエル信仰が通じないのはいうまでもない。それでいて佳川がいうように、中国蛙はまちがいなくお金と深い関係があるのである。といっても、目下、我が中国文化研究所には中国蛙は一匹もいない。私が集めないのではなく、私が集めてくると、佳川についてみんな佳川の家へ行ってしまうからである。
そのこともあって、私は数日後に、佳川文乃緒の中国お金蛙鑑定にかりだされ、佳川の家を訪れた。
玄関を入ると、佳川のお金蛙が、日本のものも中国のものも、下駄箱の上の何段にもわたる棚から私のほうをいっせいにぎょろりとにらんだ。私なら大切なお金蛙をこんなふうに下駄箱に並べたりしないと思ったが、すぐに佳川文乃緒のお金思考がわかった。お金がカエルところは玄関だからだとである。
私が声をかけると、佳川は待ちかねていたようにすぐに玄関に姿をあらわすと、あらかじめそうしょうとねらっていたかのように、私にあがれとも言わないで、陶製の黒っぽい茶色蛙灰皿を手にとった。それは掌ぐらいの大きさの蛙で、背中が灰皿になっており、口には銅銭、といっても陶製のものだが、をくわえていた。
「先生、この蛙灰皿の蛙ですね、口にお金をくわえています。ということは、お金がカエルということですか。それにしてもこの蛙はいぼいぼ蛙で気味が悪いです。日本蛙にはこのようないぼいぼ蛙はいません。どうして中国蛙にだけいるのですか」
「ああ、その灰皿蛙ですか」
と私はいった。そのいぼいぼ蛙灰皿は、私が成都の文物市場で手に入れ、佳川文乃緒と一緒にこの玄関に移住してしまったものだ。
「このいぼいぼ蛙は、蛙は蛙でもヒキガエルです。それに、良く見てください、足が三本しかないでしょう。中国では、月にすんでいる蛙はいぼいぼ蛙で、足が三本なのです」
「そうですか。でもそんなヒキガエルがどうしてお金を口にくわえているのです」
「それはですね、ヒキガエルの漢字からきていると思っています。ヒキガエルを漢字でどうかくかわかりますか」
「さあ、確かむずかしい字でしたね。でも、わかりません」
「紙と書くものを貸してください」
と私はいい、佳川から紙とボールペンを受け取ると、「蟾」と書いた。
「そんな字でしたか」
と佳川は首をかしげた。
「ああ、もう一つありますが、それは日本の漢字で中国語ではないですよ」
と私はいって、「蟇」と書いてからいった。
「ですから、中国ヒキガエルというときは、蟾です」
「そうですか、でもどうしてその漢字がお金と関係あるのですか」
「それはですね、この字の発音がわかりますか」
「さあ、わかりません」
「センです」
「センですか」
「この発音から何か連想しませんか」
「そうですね、なんでしょう」
「センと発音する漢字に、ゼニ、銭があるでしょう。つまり、発音でみるかぎり、ヒキガエルは銭、お金なのです。現代中国語でも蟾と銭は発音がそっくりです」
「そうですか。なにかわかった気もしますが、それだけでは、ヒキガエルガお金をもってカエルというにはもう一つ弱い気がしますが」
と佳川文乃緒はまだ半分ぐらいしか納得していないというようにいった。
「そうですね、佳川さんがこれだけの説明では、中国ヒキガエルを集めてもお金がカエルと信用できないのはよくわかりますよ」
といって私は笑い、我が中国文化研究所の『中国神話傳』にここで登場してもらうことにした。この本は成都で求めた本だった。
「佳川さんは読んでいないと思いますが、我が中国文化研究所には『中国神仙傳』という本があるのです。いいですか、その本によりますとでね、中国の元代にリュウカイセンという人物がいたのです。カイは海、センヒキガエル、蟾です。この海蟾が道教の神さま、それも財神になったのです。蟾が銭と発音が同じだったからのようです。いずれにしろ、この海蟾神を拝むと、歩々釣金銭、つまり、お金が集まると信じられるようになったのです。いうまでもなく蟾はヒキガエルですから、ヒキガエルとお金が結びつき、ヒキガエルが銭の山のうえにいずわったら、口に銭をくわえるようになったのです。ですから中国蟾を集めていると、佳川さん、気がついたら銭に埋もれて窒息しかねませんよ」
「そうなったら万々歳でございますわ。これからもせっせと中国蟾を集めることにします。それはそれとしてですね、中国の普通の蛙はどうでしょうか。日本蛙のようにお金がカエルということはありませんし。それなのに、中国蛙は硯や香炉や急須や着せるなどいたるところに存在しています。でもお金をくわえたり、お金の山にのったりはしていません。中国蛙は集めてもお金はたまらないのでしょうか」
「いえ、いえ、そんなことはありません。中国蛙もお金がたまりますよ。蛙と蟾、本質的にはどちらもかえるですからね。『中国神仙傳』によるとですね、かつて中国の南の地には王蟾大王廟という神社がいくつもあったそうです。この廟の神さまは蟾という字が使われていますが、蛙だったというのです。青蛙神がまつられていたのです。中国の南方では蛙がたくさんいて害虫を多く食するというので、神としてまつられたというのです。この青蛙神は福の神だったので、福の中にはお金が集まる事もふくまれるので、いや、それが第一かもしれませんが、お金蛙だと考えておかしくありません。蟾も蛙も集められるだけ集めたにこしたことはありません」
と私はいったが、それは言葉のはずみで、私は蟾も蛙も集めるのにそれほど情熱がわかなかった。
「そうですか。安心しました。これからも中国カエル、いえ、いぼいぼヒキガエルをせっせと迷わずに集める事にします」
どうやら佳川文乃緒は私の説明を、いや、『中国神仙傳』のカエルを信じているようで、今更これは話ですよと水もさす事ができないで少し困っていると、佳川が突然気がついたというようにいった。
「このいぼいぼヒキガエル灰皿は本物でしょうか。にせものなどもっていたら、にせもののお金しか集まりません、そうではないでしょうか」
「ああ、それはですね」
と私はいいかけで口をつぐんだ。
佳川文乃緒の蛙と蟾は、他の蛙や蟾とちがって、お金もうけのものである。したがって、佳川の蛙蟾の本物にせもの鑑定は明快この上もない。お金がたまれば本物、たまらなければにせものだという事である。今まで蛙蟾はたまってもお金がたまった気配がないから、佳川の蛙もヒキガエルもみんなにせものだ、もちろん、いぼいぼヒキガエル灰皿もにせものだということができる。
しかし、文物としては、もう一つの真贋があることに気づいた。この灰皿はいかにも垢が長年にわたってしみこんだように汚れていたし、こんな不潔で不気味ないぼいぼヒキガエル、どうみても現代ものではなかった。
私は佳川文乃緒にいった。
「多分、そのいぼいぼヒキガエル灰皿は、清か民国時代につくられたものですよ」
「とすると、本物のいぼいぼヒキガエルですね。これから先が楽しみですわ」
「これから先がですか」
と私は次の言葉が出なかった。
「ええ、そうですわ」
とここで佳川は私の説明に満足して気がついたようにいった。
「ああ、玄関に立たせっぱなしで申し訳ありませんでした。それにしても今日はたいへん意義のあるお話をお聞かせいただき、明日からの未来が楽しみです。おいしいコーヒーを入れますので、どうぞおあがりください」
私はおあがりしたくなかった。このまま帰りたかった。私は蛙でも蟾でも、それが日本のものでも中国のものでも、本物でも、そんなものを集めても金持ちになれるとは信じていなかったからだが、これだけは信用されると、ヒキガエルのようによたよたと佳川文乃緒の後から部屋に入りコーヒーをごちそうになる他なかった。
その部屋にも、カエルが、いぼいぼヒキガエルガいたるところにたむろして、私をぎょろ目でにらんでいた。私にはそれが佳川文乃緒の兄弟姉妹に見えた。
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